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ジョージ・A・ロメロ/ゾンビの世界

 


ジョージ・A・ロメロ/ゾンビの世界
ゾンビと私 Chapter1

 『ゾンビ』との出会い

 多くのファンと同じようにロメロの「リビング・デッド」シリーズの中で私が一番好きな作品は『DAWN 0F THE DEAD』こと映画『ゾンビ』である。私はこれを10代のはじめ、TVの深夜放送で初めて観た。
 私の家では、ときおり夜更かしして映画を観ることが子供たちに許されていた。それは一種のイベントだった。80年代初頭、ビデオが一般家庭に普及するほんの少し前の時代の話である。普段なら幼い私は家族よりも先に睡魔に襲われて眠ってしまうところだったが、このときばかりは映画にのめり込み、まんじりともせず最後まで観とどけた。
 テレビで『ゾンビ』を観る以前から、私はこの映画の存在自体は知っていた。この辺りの記憶もあいまいになっているのだが、当時、日本公開からまだ数年しか経っていなかったはずだが、監督がロメロであると認知されていたかどうかはともかく、従来のヴードゥ・ゾンビに対して、ゾンビといえばこの映画に登場するモンスターのことであるとすぐに想い起こされるほど、モダン・ゾンビは世間に浸透していた。
 その出会いが早すぎたのか否か、いまとなってはなんともいえない。とにもかくにもこの映画の持つただならぬパワーに私は刺激され、衝撃を受け、眠ることも忘れて見入ったのだった。そして観終わった後の、私の体に残ったあのなんともいえない奇妙な興奮と高揚…。後にも先にもあんな感覚を抱いたのはあのときだけだった。
 私は『ゾンビ』という映画の何にそれほどの衝撃を受けたのだろうか? それは一つには映画のなかで表現されたシチュエーションそのものにあったのだろうと思われる。蘇った死者が人肉を求めて生者を襲い、襲われた者もその傷がもとで死ぬとゾンビとなって蘇る。死者と生者は激しく争うが、次第に数に圧倒され、人間はゾンビの群れに狭く閉ざされた空間へとどんどん追い詰められ、一人また一人と食べられていく…、といった歪み狂った、世の理を逸脱した、絶望的な、全く救いようのない、死臭漂う終末世界に。
 私は映画『ゾンビ』を観た直後から、ゾンビに襲われ狭く閉ざされた空間に追い詰められるという悪夢に頻繁に悩まされるようになった。このゾンビ映画の肝というべきシチュエーションが、私にとって強いトラウマになってしまったからである。
 ロメロが生み出したゾンビというキャラクターとそれによってもたらされる極限的なシチュエーションのなかに、人の根源的な恐怖心に訴えかける何かがあり、それで夢との相関関係もまたよかったのだろうか、一時は毎晩のように見た。
 この悪夢の恐ろしさを想像してほしい。ゾンビに追い詰められ絶体絶命の状況に陥ると必ず恐ろしさからか私は目覚めることになるのだが、それは文字通り命拾いをしたという瞬間だった。私は何度も何度も絶体絶命の危機から生還し、そしてそのたびに夢でよかったとほっと胸をなでおろした。
 幼いころの私は臆病な性格で、眠っている間によく悪夢の類をみるような子供だったが、『ゾンビ』を観た後は、ゾンビに襲われる夢が私にとって最も恐ろしい夢となった。
 このようにゾンビに襲われ追い詰められる夢に恐怖していた私であったが、じつはその悪夢を楽しみにし、それを一方で待ち望むようにもなっていた。極限の恐怖とスリルを味わえるからこそそれを待ち望むという、人間心理の倒錯に私は幼いながら嵌ってしまっていたのである。
 子供のころの私にとって、夢というものは大きな位置をしめ、日常生活に並ぶほどの重要性を持った私にとっての「もう一つの世界」であったが、その大部分を死者たちが占拠するようになったのである。これはただごとではなかった。

 映画『ゾンビ』を観て衝撃を受けた私は明らかにホラー映画というジャンルにも惹かれるようになっていった。当時は『13日の金曜日』(80)をはじめとするスラッシャー映画が全盛の時代で、洋画劇場をはじめテレビでもその手の映画が頻繁に放映され、そこでは毎日のように殺人ショーが繰り広げられていた。ホラー映画はいまの時代よりも断然市民権を得ていて、社会や子供たちに与える悪影響とかいった堅苦しい議論もほとんどされることのない、ホラー映画にとって牧歌的な時代だった。
 今では考えられないことだが、ルチオ・フルチの『サンゲリア』などもローカルTV局で真昼間に放送されていた。当時からロメロのゾンビ映画より一段低くみてはいたものの、『サンゲリア』は私のお気に入りの映画の一つとなり、私をますますゾンビ映画好きにした。
 そしてホラー映画、スプラッター映画の一大ブームが80年代半ばに起き、私も大量のホラー映画やゾンビ映画をレンタルビデオ屋から借りてきては鑑賞するようになる。
 テレビで『ゾンビ』を観て強い衝撃を受けた私は、あいだに『サンゲリア』体験を経て、今度はレンタルビデオで再び『ゾンビ』を観る機会を得る。このビデオは1985年に発売されているので私は少なくとも中学生になっている。CICビクターから発売されたこのビデオはいまでは『ゾンビ』の数あるバージョン違いのなかで「米国劇場公開版」と呼ばれているものであった。
 このビデオ版の『ゾンビ』は、日本で劇場公開されたものやテレビ放映されたバージョンなどではおそらくカットや画像処理が施されていたのであろう過激なシーンの全てが納められた無修正版『ゾンビ』とでもいうべきものだった。
 『ゾンビ』という映画を再度体験した私の脳はジーンと痺れていた。それはなんというか脳みそに手を突っ込まれてもみくちゃにされたような、言葉では表しがたい感覚だった。
 “この映画は他の映画とは違う。この映画には他の映画にはない「何か」がある”
 また『ゾンビ』に描かれた、歪み狂った、世の理を逸脱した、全く救いようのないシチュエーションは、初めて観たとき以上に私を怯えさせ、それと同時に魅了した。観終わった後数日そこから抜け出すことができないほど『ゾンビ』の舞台である「あちら側の世界」は私を虜にした。
 こうして私は最初に観たときとはまた違った意味での衝撃を、ビデオでの再観賞でこの『ゾンビ』という作品から受け取ることになったのである。
 このセカンドインパクトの強烈さが、いまにいたるまで私が『ゾンビ』について語る上でのゆるぎのない基盤となっている。私が『ゾンビ』について書く文章も、感受性が豊かだったこのころの印象に基づいている。それは長い時間を経てもなお私のなかで全く薄れることのない感覚なのだが、いかに当時の私が、『ゾンビ』を観て受けた衝撃が強烈であったかが窺える。
 このビデオによる再体験で、私の『ゾンビ』という映画に対する強い思いは決定付けられたのだ。

 さて私の脳をジーンと痺れさせた原因は言葉ではなかなか表しがたい「何か」であった。以降、私はビデオ版『ゾンビ』鑑賞後に感じたその「何か」の正体を暴きたいという強い欲求にかられるようになった。
 ロメロの『ゾンビ』に魅了された私は、続いて『死霊のえじき』、少し離れて『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』とロメロの「リビング・デッド」シリーズを観賞し、これらの作品からも深い感銘を受けた。
 この三作は、三部作と括られるだけあって、それぞれ切り口やテイストを微妙にかえながら、共通のテーマによって結び付けられ、切っても切れない関係になっていた。
 『ゾンビ』に感じた「何か」を、残りの二作にも感じた私は、ロメロの創造した「あちら側の世界」から感じるその「何か」の正体をさらに暴きたいと思うようになった。
 人は幼いときに触れる童話や寓話から、世界への洞察力やモラルの有りようなどを学び、知らず知らず哲学的思考法などを鍛えていく。
 物心もつかない時期に初めて『ゾンビ』という映画を観賞して以来、当時は気付いていなかったけれど、ロメロの「リビング・デッド」三部作は、絵本代わりとなって幼い私に最もインパクトを与えた童話や寓話であったのだ。そしてそこから感じる「何か」を解き明かそうとする私の行為は、拙いながら一種の哲学的考察の試みといえるものだったのである。
 私はロメロのゾンビ映画のさらなる情報を求めた。しかしインターネットもない時代、その情報は限られたものであった。これだけ一部で熱狂的に支持されながら、圧倒的に語ることの多い映画でありながら、ロメロのゾンビ映画について詳細に述べられた書物が少ないことも不満だった。
 ホラー映画やスプラッター映画のブームは、80年代末期に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」や「連続幼女誘拐殺害事件」などといった猟奇的な事件が起こり、それが過激な表現を含んだビデオやコミックの影響であると非難されるようになり始めると次第に終息していった。それによってホラー映画の情報はますます入手困難となっていく。
 マスメディアは、彼らを凶行に走らせたものとして『ギニーピッグ』シリーズ(85〜88)などの猟奇ホラービデオや、それらと同じころに普及したロリコン漫画などを糾弾した。あのころ言われたホラービデオや過激なコミックなどがもたらす若者への悪影響といった批判や分析の多くははっきりいって的外れなものであった。だが私には、過激なビデオやコミックの影響を受けたとされた彼らの凶行は人事には思えなかった。
 当時の私は、ホラー映画やスプラッター映画に惹かれることと、私の心の中に確実に存在していた満たされぬ思いや社会に対する憎悪とがどこかで結びついているのではないかと感じるようになっていたのだ。
 私は“気付き”の時を迎え、一時は、ホラー映画好きの自分を毛嫌いしてそういう類のものを一切見ないようにまでなった。私のホラー映画に対する興味もこのころ急速に失われていった。
 そうこうしているうちに私は大人になり、ネット社会というものが到来する。私はインターネットの中に、ホラー映画やスプラッター映画のディープな情報を見出し、再び刺激されて、ホラー映画に対する興味を再燃させていくこととなる。
 ネット社会というのは誰にでも発言の場が容易に与えられた世界であるが、私もブログを立ち上げ、映画についての雑文を書いていくなかで当然ロメロのゾンビ映画についても触れるようになった。そうするうちに、私はロメロの「リビング・デッド」三部作を観て感じ、その当時はまだうまく表現することができなかった「何か」を言葉で表すことが出来るのではないかと考えるようになった。ロメロの「リビング・デッド」シリーズ最新作が製作されるという情報も私を刺激した(本文は『ランド・オブ・ザ・デッド』公開前後にブログに掲載した文章などに加筆訂正したもので、当時の気分や感慨を残すために構成はそのままにしている)。そしてロメロのゾンビ映画についてじっくりたっぷりと書かれた書物がないのなら自分が書いてやろう、とこう思うようになったのだった。

 さて、ビデオ鑑賞前にテレビで私は『ゾンビ』を観ていて、それが一種のトラウマ体験になったことについては前述したとおりである。
 私はトラウマという言葉を使ったが、精神分析学において確立された人間の心の病の治療法の一つに、その病の原因を言語化し、しっかりと把握し、向き合うというものがある。
 私をホラー映画好きにした大きなきっかけは『ゾンビ』という映画だったが、『ゾンビ』やロメロの「リビング・デッド」三部作について語ることは、おおげさにいえば「ホラー映画好き」という自画像に自分の内面の暗い感情が投影されていたと感じていた私の、少年時代からの精神的なトラウマを癒す行為の一つであるといえるのかもしれない。
 ではここまで長々とロメロの「リビング・デッド」三部作について語ってきて、私の心の中のトラウマは、解消されたのだろうか?
 解消したようにも思うし、まだ解消されていない、まだしゃべりたりないという気持ちもある。トラウマという意味では、実際私は、もうとっくにゾンビに襲われる恐ろしい夢を見なくなってしまっている。また、いま映画『ゾンビ』を見ても以前のような衝撃を受けるようなこともなくなった(それでも何度観てもおもしろく、何度観ても飽きず、観るたびに新しい発見を『ゾンビ』という映画は私にもたらすが)。
 私が『ゾンビ』について語る原動力は、十代はじめの感受性豊かなころにそれを見たことによって生じているわけだが、はたして大人になってから初めて『ゾンビ』を観たとして、同じように強い衝撃をうけたかどうかは今となっては分からない。
 十代はじめの感受性をいまの私は持ち合わせていない。そのおかげで悪夢からは逃れられたのかもしれないが、あのころの繊細な感覚はもう戻ってはこない。それが大人になるということであろうが、一抹のさびしさも感じる。
 また感受性という部分では、たとえば私の文章を読んでロメロの「リビング・デッド」シリーズに興味をもたれた方が、大人であれ子供であれ、『ゾンビ』を観てほんの少しであっても感銘を覚えるかといったら多分そうとばかりは限らないだろう。
 人の感受性は似たようなものを持っているかどうかということはあっても、そもそも同じものの一つとない、千差万別のものだ。
 『ゾンビ』に衝撃を受けた私は何人かの友人にそれを観るようにすすめたことがあったが、私と同じかそれに近いような感覚を抱いた者は一人もいなかった。私はそのことに強いショックを受けた。全く同じではなくても、少しは私の受けた衝撃の一部を共有してくれるのではないかと思っていたのに、それすらなかったのだ。
 他人が自分と同じような感性を持っていると思ったら大間違いなのだ。夢見がちで映画好きな私は、人と自分との間の感受性の違いによって生じる高い壁というものを幾度となく感じてきた(さんざんロメロのゾンビ映画を持ち上げてきたが、それが万人に通用するものではないことは私も自覚している)。
 そうやって疎外感を抱えていた私であったが、雑誌や本で、私と同じようにロメロのゾンビ映画やホラー映画に強い影響を受けた人々を発見し、それをいまではインターネットの世界の中にも見出している。その数は決して少ないものではない。
 私が書いた文章が、そういうロメロのゾンビ映画を観て「何か」を感じた人々と、文字を通してコミュニケーションが取れているとしたら幸いだ。
 なにはともあれ、ロメロがゾンビ映画の新作を撮り続ける限り、私は何ほどか刺激を受けて、この先もしゃべりたいという欲求にかられ続けるであろうことだけは間違いない。



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