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ジョージ・A・ロメロ/ゾンビの世界

 

ゾンビ
ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド

資料集


ジョージ・A・ロメロ/ゾンビの世界
ゾンビの定義

ゾンビの定義
 最初のヴードゥ・ゾンビ映画は『ホワイトゾンビ』(1932)であるといわれています。
 ここでは 『魔人ドラキュラ』などで有名なベラ・ルゴシがヴードゥの呪術師に扮し、ゾンビ化した人間を奴隷として操っています。本作を観れば、人間としての感情や意思の喪失、緩慢な動作といったゾンビというモンスターの特徴的要素がこの時点ですでに確立されていることが分かります。人を人足らしめている感情や意思を奪い取られただ主人の命令のままに行動する亡者としてのその姿はいかにも不気味で(映画としての古さは如何ともしがたいですが)、それとともに哀れみもいくばくか感じさせ独特の存在感を醸し出しています。それにこれは後のコメディやパロディ系のゾンビ映画に繋がる要素ですが、無表情で緩慢な動作のゾンビたちからはすでにどことなく滑稽さも滲み出ています。

 1966年には『ドラキュラ』(1958)などで有名な英国のハマープロが『吸血ゾンビ』という映画を製作します。舞台をハイチから英国の田舎町に移し、ヴードゥの呪術を学んだ町の有力者が住民を殺してはゾンビ化し鉱山で働かせているという設定です。町に「奇病」の調査にやってきた医師が事件に対処するのですが、彼の娘も毒牙にかかりそうになって危機一髪!というのが物語の筋になっています。お話自体は従来のヴードゥ・ゾンビ映画の焼き直しですが、カラー作品である本作の、土気色の肌に白目を剥き、両手を突き出して迫ってくるゾンビのヴィジュアルはかなりインパクトがあり、とくに登場人物が見る悪夢の中に登場する墓の下の土の中から集団で蘇ってくるゾンビのイメージは圧巻です。おそらく後のマイケル・ジャクソンのミュージックビデオ『スリラー』などにも通じるゾンビのヴィジュアル的なイメージはこの映画によって確立されたのではないかと思われます。
 『吸血ゾンビ』でも他のヴードゥ・ゾンビ映画と同様、身近な人間がゾンビに、もしくはゾンビにされるかもしれないという恐怖が描かれています。ここはハマープロの製作ということもあって、ハマーおとくいのドラキュラ映画との類似も感じさせるのですが、自分の身内が、愛するものが、死んでからモンスターと化してあの世から舞い戻ってくるという恐怖とおぞましさはゾンビ映画の重要なファクターといえるでしょう。
 そもそもモンスターとは人間が抱える様々な「恐怖」がイマジネーションを介して具現化した存在ですが、人間の抱く恐怖の最たるものは「死」であり、そういう意味ではゾンビもドラキュラなどと同じ死の世界の住人でありモンスターの中でも正統派に属するものであるといえるでしょう。けれどもドラキュラが圧倒的な力を持ち自ら闇の眷族を生み出すカリスマ的存在であるのに比べてゾンビはあくまで奴隷でありろくな能力もない弱っちい存在です。そのためゾンビがホラー映画の主役をはることも少なく下っ端のやられ役を担わされることも多くなります。このような魅力的な要素を持ちながらもホラー映画では常に脇役に甘んじることの多かったゾンビというキャラクターを一挙にホラー映画界のスターダム、花形に押し上げた作品こそがロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)であったわけです。

 さてここで一先ずヴードゥ・ゾンビの定義をまとめておきましょう。ヴードゥの呪術師によって死から蘇らせられ奴隷として操られるモンスター、これが正統派のヴードゥ・ゾンビということになります。そしてその特徴としては感情を喪失し自由意志を奪われたこの世を彷徨う「亡者」ということが挙げられます。またゾンビは死人ですがあくまで物理的存在でありそこは幽霊などとは明確に分けられる部分です。『ホワイトゾンビ』以後に製作されたホラー映画に登場するモンスターでこういった特徴を踏まえているものは、たとえヴードゥの呪術によって蘇らせられた存在でなくとも、宇宙人であれ、マッドサイエンティストに操られているのであれ、広義に「ヴードゥ系ゾンビ」と呼んでも差し支えないように思われます。

 1968年に公開された『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』において、当初監督のロメロは自分の映画に登場するモンスターをゾンビであると意識してはいなかったといわれています。この映画がもともとはリチャード・マシスンの小説『アイ・アム・レジェンド』にインスパイアされたものであることはロメロも認めていますが、モンスターは「グール」や「フレッシュイーター」と呼ばれ、ロメロ自身には「ゾンビ映画」を作っているつもりはなかったようなのです。しかしそこに登場する感情や意思を喪失し緩慢な動きをする蘇った死者達の姿は、従来のヴードゥ系ゾンビのキャラクター性を間違いなく継承するものでした。ロメロが望むか望むまいかに関係なく『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は誰が見てもゾンビ映画にカテゴライズされる性質の作品だったのです。
 ただ従来のゾンビ像を引き継ぎつつも、ロメロはそこに新たなキャラクター性を加えました。そしてそのことが奴隷であり弱っちく脇役に甘んじることの多かったゾンビを再びホラー映画の主役級に引き上げることになるのです。
 ロメロが新たに付け加えたゾンビの性質は人肉食と感染を介しての増殖でした。前述したようにゾンビはまんま「死」が具現化した存在です。同様に「食べられる」というのも生物の抱える根源的な恐怖の一つです。人肉食という性質が加えられたゾンビはそのことによってまさに人間が抱える最もプリミティブな恐怖が投影されたモンスターというべき存在となったのです。
 その上ロメロの創造したゾンビは感染を介して増殖します。
 ドラキュラもヴードゥ・ゾンビも共に「死の世界」の住人ですが、ドラキュラ(吸血鬼)が吸血行為によって自らの眷族を増殖させ「死」の勢力を「生」の世界に侵食させていく絶大な力を有しているのに比べ、ヴードゥ・ゾンビはあくまで「死」に支配された受身の側の奴隷としての存在でした。しかしロメロの映画に登場するゾンビは人肉食と感染を介した増殖という性質を有することによって、自ら「生」の世界に「死」の勢力を侵食させていくモンスターへと昇格したのです。
 従来どおり知能は低く動きは緩慢ですが、増殖するゾンビは一体一体は弱くとも集団で襲撃してくることによってかつてない脅威となります。そのうえゾンビにつかまると食べられてしまいます。これはかなり恐ろしいシチュエーションです。またロメロは頭部を破壊されない限りはゾンビは倒されないというルールも確立します。これらの要素が相俟ってゾンビと人間との間の追いかけっこ、死を賭した鬼ごっこといった独特のゲーム感覚的なおもしろさを映画に生じさせることにロメロは成功します。
 ジリジリとした独特の緊迫感をともなうこのサバイバルゲーム的な楽しさはロメロのゾンビ映画の魅力の一つですが、さらには人肉食や頭部を破壊されない限りは倒されないというゾンビのキャラクター性が映画を過激な暴力や残酷描写で一杯にし、それもまたロメロのゾンビ映画の大きな魅力となっています。
 こうして従来のヴードゥ系ゾンビの魅力的な要素を引き継ぎつつ、人間の根源的な恐怖により深く訴えかけてくるモンスターへと昇格し、さらにはそのキャラクター性に伴うホラー映画や娯楽映画としてのおもしろさによって、ゾンビが再びホラー映画の主役級の存在として脚光を浴びる下地が出来たのです。
 そして、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』によって新たに確立されたこのようなゾンビ像は、ヴードゥ・ゾンビと区別されてモダン・ゾンビと呼ばれるようになるのです。

 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は新人監督が低予算で製作したホラー映画でしたが、その影響力は絶大でした。当初は否定的な批評が多く浴びせられましたがドライブインシアターなどで人気を博し、ミッドナイトムービーの走りとして繰り返し上映されていく中でカルト化していきます。その評判は海外にも渡りとくにヨーロッパで高い支持を得ます。
 スペインとイタリアの合作で『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』を下地にしたゾンビ映画『悪魔の墓場』(1974)なども製作されます。ただそれでもまだモダン・ゾンビが全世界的に浸透したわけではありませんでした。たとえば『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は日本未公開でしたし、日本におけるロメロとその監督作である『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』の知名度はきわめて低く同作の焼き直しである『悪魔の墓場』が公開されたときには監督のホルヘ・グロウが一部でロメロと混同されるという体たらくだったのです。今日のように世界中でゾンビ映画がホラー映画の一つの有力なジャンルとして認知されるのには同じくロメロ監督作である「リビッグ・デッド」シリーズ第二弾『ゾンビ』の登場を待たなければならなかったのです。
 さて公開当初こそ極悪最低なホラー映画と罵られた『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』でしたが、ニューヨーク近代美術館がフィルムを所蔵しアメリカ国立フィルムレジストリーのリストに名を連ねることにもみられるように、今日その映画としての評価はきわめて高いものとなっています。
 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が評価されている点はまずホラー映画に従来にはない「現実感」を盛り込んだところにあるのではないかと思われます。
 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』以前のホラー映画の多くは、たいてい単調な善悪の戦いの構図で描かれ、人里はなれた古城や光の届かない深い森などといったもってまわった場所を舞台にしていました。それは観客をおびえさせつつ、一時の間、日常から非日常へと逃避させてくれる「型にはまった娯楽」でした。映画館を出れば観客はすぐに日常に復帰し映画がその日常にまで影響を及ぼすことなどまれでした。しかし『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は違いました。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』にはそれを観た人が「これは映画の中の出来事ことである」と割り切ることのできない妙に生々しい「現実感」があったのです。
 これにはまずロメロの作劇、演出法が主だった要因として挙げられるでしょう。ロメロは事件の舞台を人々が生活する日常空間に設定し従来のホラー映画にみられる前置きの長さやとってつけたような理屈を一切排し、あたかも実際に起こった事件の一断面を切り取ったようなドキュメントタッチで物語を進めていきます。
 「現実感」ということでは、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が製作された60年代後半という時代との係わりも重要になってきます。
 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』における、当時のホラー映画では皆無に等しかった黒人の主役への起用、生々しい暴力描写、子供が親をぶっ殺し食べてしまうどタブーを破った描写などは、当時の観客を驚かせました。とくにラストで1人生き残った主人公の黒人がゾンビではなく白人自警団のような連中に撃ち殺されてしまうラストは後々様々に解釈されることになるほど衝撃的なものでした。
 黒人に焦点を当てていること(これは、ロメロは偶然だったと回想していますが)や子供の親への反抗、過激な暴力などは『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が公開された当時の人種暴動、反戦運動、カウンターカルチャーの盛り上がりなどによって混迷を極めた60年代後半当時のアメリカ社会との類似性がみられます。実際、今日『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』がその観点から論じられることも少なくありません。
 もちろん『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』に熱狂した観客の多くはこの作品をホラー映画として純粋に怖がり楽しんだだけだったでしょうが、その背後にある自分たちの現実社会を投影したただならぬ「現実感」も無意識に感じ取り、そのことにも観客は恐怖したのではなかったでしょうか。
 そしてこのような「現実感」がもたらす恐怖は続く『悪魔のいけにえ』や『エクソシスト』などといったホラー映画の名作に受け継がれていくことにもなり、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』はホラー映画の歴史にとってエポックメーキングな作品となるのです。

 1978年製作の『ゾンビ』はその資金の大半をホラー映画『サスペリア』で有名なダリオ・アルジェントらイタリアの映画人に頼っています。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』がヨーロッパでとくに評判を呼んだことは先に述べました。ロメロらが『ゾンビ』製作の資金繰りに窮していたことを知ったアルジェントが、それが『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』の続編であることを知って興味を示したのです。当時『サスペリア』は日本も含め全世界でヒットしアルジェントの名は一躍有名なものとなっていました。
 製作費の大半を出資する代わりに作品の英語圏以外の国での編集権と配給権を獲得したアルジェントはそれを短く編集し『DAWN OF THE DEAD』は『ZOMBIE』という題名でイタリアをはじめ英語権以外の国々でぞくぞくと公開されヒットします。
 日本でも「ダリオ・アルジェント版」に日本独自の編集を加えたバージョンが公開されヒットします。日本ではロメロの名は全く知られておらず映画はアルジェントとの共同監督作品として宣伝され、それを信じた人も多かったのです。しかし実際は『ゾンビ』はジョージ・A・ロメロの単独監督作だったのです。
 遅れて公開されたアメリカでも『ゾンビ』はヒットします。こうして『ゾンビ』は全世界的なヒット作となったのです。
 『ゾンビ』を観た人はその過激な暴力性と残酷描写に度肝を抜かれ、そのゾンビとの死を賭したサバイバルゲームに興奮し、そしてそのかつてない圧倒的な終末観に脅えつつも酔いしれました。そして少なからぬ観客はロメロが作品に込めた社会への風刺や批判精神も無意識のうちに感じ取り、一部の批評家はそのことを敏感に察知してはやくから『ゾンビ』をその観点から論じたのでした。
 前作『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』から十分にインターバルを取り製作費も豊富な中、『ゾンビ』は『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』で確立されたゾンビ映画の魅力の全てを全開させた作品となりました。『ゾンビ』はそういう点ではまさにゾンビ映画のロイヤルストレートフラッシュとでも呼ぶべき作品なのです。
 以後ロメロの『ゾンビ』に影響されたゾンビ映画が世界中で作られていくことになります。それにはゾンビのキャラクターの魅力もさることながらゾンビ映画がホラー映画として低予算で製作でき、なおかつ暴力性や残酷性を盛り込みやすいという理由もあったでしょう。とくに『ゾンビ』とのかかわりが深く世界で最初に『ゾンビ』を公開したイタリアでは、80年代を通して大量のゾンビ映画が製作されることになります。
 もともとマカロニウエスタンやジャーロ映画の伝統があったイタリアでゾンビ映画はより過剰により淫靡なものになり、極上のエクスプロイテーション映画に変化します。
 イタリアをはじめとしてゾンビ映画は世界のいたるところで作られ、それらの作品群は80年代のスプラッター映画ブームの中でちょっとしたゾンビ映画ブームを醸成し、それは本家ロメロの「リビング・デッド」シリーズ第三弾『死霊のえじき』が公開される80年代半ばにピークを迎えることになるのです。
 90年代に入ってゾンビ映画は下火になりますがその代わりに『ゾンビ』の人気の高い日本において「バイオハザード」や「ハウス・オブ・ザ・デッド」といったTVゲームとなって人気を博します。それがまわりまわって『バイオハザード』(2002)として実写映画化されることになり2000年代に入ってゾンビ映画が復活するきっかけともなります。それが現在の、80年代ほど大量ではないもののロメロの『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005)も含めコンスタントに有力なゾンビ映画が製作される小ゾンビ映画ブームへと繋がっているのです。

 最後にモダン・ゾンビについて定義しておきましょう。人間としての感情や意思を喪失し緩慢な動作の奴隷としての存在がヴードゥ・ゾンビでした。そこから奴隷という要素を抜いて新たに人肉食と感染を介しての増殖、頭部が弱点という要素を付け加えた「生ける死者」が正統派のロメロ型モダン・ゾンビということになるでしょう。これがホラー映画、娯楽映画としてのおもしろさを生じさせ、ゾンビに同時代のモンスターとしての強烈な存在理由を与え、ゾンビをホラー映画における主役級の存在に昇格させたことはここまで述べてきたとおりです。
 ゾンビの発生原因は、ロメロの「リビング・デッド」シリーズでは判然としていません。そのこともあり、ロメロのゾンビ映画の明らかな影響がみられ、ロメロのゾンビ映画の持つ特徴的な要素のいくつかを踏まえていさえすればゾンビ発生の理由が細菌兵器であれ、ウィルスであれ、惑星からの怪光線であれ、放射能であれ、従来のヴードゥ・ゾンビのように呪術によってであれ、大雑把にまとめてモダン・ゾンビと呼んでしまっても差し支えないでしょう。
 またゾンビがたとえ「生ける死者」でなくとも、人間としての感情や意思の喪失、人間への襲撃、感染を介しての増殖、終末観などの要素を引き継いだ『28日後』『28週後』などもゾンビ・ディザスター物としてゾンビ映画にカテゴライズすることは可能でしょう。



ジョージ・A・ロメロ/ゾンビの世界


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