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映画コラム

 

スター・ウォーズ研究

スター・ウォーズ/メモリアル
スター・ウォーズ新三部作研究
「シスの復讐」ノベライズを読んで

北野武

スター・ウォーズ研究
スター・ウォーズ新三部作研究序説

 スター・ウォーズ新三部作は、旧三部作と比べ、最初から映画としてのハンデを背負っている。
 旧トリロジーは銀河大戦を背景に一人の若者が辺境の惑星を旅たち、冒険を通して成長しつつさまざまな試練に遭遇し、過酷な運命と向き合いつつそれを乗り越え英雄となっていくという物語だった。主人公が乗り越えるべき対象は、悪の道に堕ちた父親である。主人公のルーク・スカイウォーカーにとって父親のダース・ヴェイダーは自らの陰画であり、ルークも父親のようにダークサイドに誘惑されるものの、それを乗り越え、父をダークサイドに引き込んだ皇帝も退けて、反乱軍も帝国を破って銀河大戦に勝利する。
 スター・ウォーズの世界観がルーカスが世界中の神話を研究した上になりたっているというのは有名な話で、ルーク・スカイウォーカーも神話の英雄譚にのっとって冒険し、試練を乗り越え成長し、悪の誘惑を断ち切って真の英雄となる。
 しかしただ英雄が成長していくだけなのが神話の全てではない。もっと血なまぐさく残酷な面があり、英雄の物語もあれば、英雄たるべきものが堕落していく物語も神話には用意されている。それはまさにライトサイドに対するダークサイドのように、陽画に対する陰画のような関係にあり、互いにきってもきれない関係として補完し合っている。
 英雄として成長するルークの陰画がその父親であるダース・ヴェイダーことアナキン・スカイウォーカーであり、その陰画であるアナキンを主人公にすると決めた時点で、新三部作は暗いトーンになるべく運命付けられていた。旧三部作があくまで陽性でポジティブな物語として評価され受け入れられていたとするならば、それとまったく正反対の物語を描かなければならない。旧三部作で成功したことの全て逆さまをいかなければならない。新三部作ははじめから相当のハンデを背負っていた。
 もともと英雄の成長物語という神話の枠組みは、映画に限らずさまざまな物語で引用され、ルーカスも旧三部作を作った際には、それほど神話としてのスター・ウォーズを強調する必要もなかった。しかしその反対をいく物語は、最初から神話性を強調しなければ、単なる暗い話となって観客がついてこない。かくしてルーカスは新三部作を作るに際して、より強くスター・ウォーズユニバースにおける神話性を強調した物語を描かなければならなくなった。旧三部作から物語の背景に神話的符号をちりばめていたルーカスにとって、それはいわば直球勝負でありチャレンジであり、望むところでもあったのではなかったか。
 スター・ウォーズユニバースの神話体系は、陽画のルークの成長物語と陰画のアナキンの転落の物語が補完しあってこそ完結する。旧トリロジーのアナキンの贖罪と救済の物語も、アナキンがとことん転落し悲惨な目にあってこそより高い劇的効果と深い寓意性が獲得できる。
 しかしただ暗く悲惨な物語であるだけでは、観客は劇場に足を運ばない。いかに旧トリロジーの遺産で観客をひきつけながら、旧トリロジーとはまったく逆さまの物語に観客をひきこんでいくか、それが新三部作を作る際のテーマとなった。
 アクションシーンもふんだんに盛り込み、観客の郷愁をさそう旧トリロジーのキャラクターも再登場させる。アナキンというよりも、旧三部作の人気キャラのダース・ヴェイダーの物語であることも強調する。
 その試みは功を奏し『ファントム・メナス』で始まった新三部作は大ヒットする。しかし映画はヒットしても映画を見たすべての観客が満足し、高い評価をしたわけではなかった。観客やファンの不満の声は、続くクローンの攻撃ではさらに大きなものとなっていく。
 最近まで『ファントム・メナス』と『クローンの攻撃』には私も不満がいっぱいだった。しかし先に述べたような新三部作の性質や、全六話からなる壮大な物語としてのスター・ウォーズを意識するルーカスの意図がわかってきてからは高く評価する方に変わった。
 さて、新三部作に対する批判や不満の一つに、メカがかっこよくない。全体のデザイン設定がよくないというのがある。これは私も認めるところである。
 とくに『ファントム・メナス』の通商連合サイドのデザインやメカは悲惨なものだ。これは主に『ファントム・メナス』のチーフデザイナーであるダグ・チャンの責任である。彼のコンセプトアートを見ても、ラルフ・マクォーリーやジョー・ジョンストンのようなハッとさせられるような素晴らしいデザインは一つもない。
 しかし彼をチーフデザイナーに選んだのはルーカスであり、デザインの取捨選択をするのもルーカスである。この点、彼は自分の子飼いのスタッフを信用しすぎ、旧三部作のときのように、自分が望めば次から次に素晴らしいいいデザインが生まれてくると過信していたふしがある。
 旧三部作の成功は、ラルフ・マクォーリーやジョー・ジョンストンといったデザイナーや特撮スタッフによってのみもたらされたという人もいるが、それは極端としてもジョー・ジョンストンらデザイナーを含めた当時のILMスタッフの能力は現在のILMのスタッフに比べて非常に高かったことは確かである。彼らの多くは最初のスター・ウォーズ製作に際して集められた寄せ集め集団だったが、ジョン・ダイクストラをはじめとするスタッフは一癖も二癖もあるが有能で、彼らはいわば梁山泊に集められた野武士であり、ルーカスによって飼いならされたイエスマンたちではなかった。
 デザインやSFXの素晴らしさで見るものを納得させていた旧三部作の魅力が新三部作に薄いのは確かである。『ファントム・メナス』でさすがにそのことに気づいたルーカスは、ダグ・チャンの変わりに別のデザイナーたち(ライアン・チャーチ、エリック・ティメンズ)をメインのデザイナーに抜粋しててこ入れする。それによって少しはましになったが、『ファントム・メナス』からの軌道修正はままならず、また彼らがラルフ・マクォーリーやジョー・ジョンストンほどの才能の持ち主であるはずもなかった。
 さて、新三部作を批判する声にはほかにも話自体がまったくおもしろくない。ルーカスの演出が拙いというものがある。
 旧三部作に比べ、新三部作の話がおもしろくないというのは当然のことだった。なにしろ旧三部作で成功した物語のまったく逆の物語が新三部作の軸なのだから。旧三部作のように善・悪がはっきりとした世界でもないし、勧善懲悪の世界でもない。善・悪がせめぎあい、誰が悪で誰が正義かもはっきりしないわかりづらい世界だ。
 善と悪がせめぎあう混沌とした世界のなかで、少しずつ悪の側が台頭していく、そのあたりをルーカスは非常に綿密に粘り強く描いている。これはスター・ウォーズの前史としてはさけては通れない過程であり、ルーカスが観客のうけ以上に、全六作を通して完成された一貫した物語を目指していることが窺える。
 派手な大戦闘場面も旧三部作に比べ新三部作は極端に少なく、『クローンの攻撃』のラストになってやっとクローン戦争の開戦の模様が度派手に描かれるぐらいだが、ここでもルーカスは最初から大戦争の渦中を描くのではなくその開戦にいたる過程を二作を通じて粘り強く丹念に描いてみせる。
 観客の受けだけ狙うなら、最初からど派手な戦争を描けばいいし、悪役も前面に押し出せばいい。しかしルーカスが描きたいのは、共和国の崩壊と、悪の台頭である。そこをしっかりと描くことによって、後々の壮大な物語の輪郭もはっきりとしてくる。
 ルーカスは全六作がつながったとき、いかに効果的に作用するかということを一番の念頭にして新三部作を作っている。
 アナキンの描き方にしてもうである。『クローンの攻撃』において、後に銀河をゆるがすことになるアミダラとアナキンの恋が淡白に描かれていることや、アナキンの性格の悪さ、ヒーローとしてのアナキンの未熟さといったものが描かれているのは決して映画自体をおもしろくする要素ではないが、観客が感情移入できないほどアナキンを徹底的に未熟で傲慢で血気盛んな若者として描くことにより、後に続く物語が深い意味を帯びてくることになるのである。
 ジェダイの修行を受けるのには年を取りすぎていたアナキンは、ジェダイが克服しなければならない個人的な執着を成長しても捨てきれずにいる。
 ジェダイはいわば人の堕落の原因となる人間の個人的な執着心とひきかえに、超人的なバワーを身に着けるわけだが、アナキンはそれをすてきれず、すぐれた才能をもつがゆえに傲慢になり、個人的な執着心のために禁断の恋をし、母親への愛から暴走する。普通のティーン・エイジャーと同じ悩みや弱点を持つ若者に成長したアナキンだったが、彼が優れたジェダイであったことが問題を大きくしダークサイドの付け入るスキも与える。
 若者なら誰もがもつような悩みや弱点が、後に彼が転落していくうえでの大きな原因となる。ルーカスはアナキンをみじかな、若者のカリカチュアとして描くことによって、誰もがその転落の可能性を秘めているという教訓をそこにこめているように思う。だからあえてアナキンに劇的な物語を用意せず、淡々と彼が堕落していく様を描いているように思われる。
 アナキンがジェダイとしてまだまだ未熟なのも、ヒーローとして魅力薄だか、3でたっぷりと描かれるであろうクローン戦争で、彼の成長した姿を描く上での複線なのだろう。おそらく手も足もでなかったドゥークー伯爵に彼は勝利するのだろう。
 アミダラとの恋もこちらが恥ずかしくなるぐらいベタな展開で表現されるが、後の二人の悲惨な末路を考えるとき、なるほどこのベタな恋愛シーンがその悲惨な末路と対比されるときこのうえなく強い効果を発揮することにもなるのだろう。
 すべては三部作全体を通してみたときの効果を考えてつくられているのだ。
 もともとインディ・ジョーンズシリーズの成功でもわかるように、ただストレートにおもしろい映画をつくることのほうが、スター・ウォーズの第一作を監督したときのようにルーカスには容易なことなのかもしれない。しかしあえてそれを犠牲にしてでも新三部作のつながり、全六部作のつながり、アナキンの転落の物語、陰画としての神話を描くことを選択した。
 それでも一作一作おもしろいことにこしたことはないが、その点ではルーカスの演出力の拙さ監督としての力量不足も認めなければならないところだろう。
 ルーカスが観客のうけを犠牲にしてでも全6作のつながりと神話としての体系づくりを重視したと書いてきたが、旧三部作のファンや一般人がスター・ウォーズに抱くイメージを崩さないように、暗くならざるおえない物語にあって、これまで極力暗い展開や悲惨であったり残酷であったりするシーンをさけるように配慮されてきた。いわばファミリー映画としてのスター・ウォーズのリミッターは厳守されてきたわけである。
 しかしそのリミッターも『シスの復讐』においてはずされるようである。ルーカスはインタビューで語っている。「エピソード3は残酷なシーンがふんだんに盛り込まれ、これまでのように子供が気楽に見られるような映画ではない」と。
 暗く残酷な物語は、おもえばルークの物語を陽画とし、その陰画としてアナキンの物語が構想された時点で、それはスター・ウォーズという神話の体系にあって避けては通れないいわば要のテーマといってもいいものとなった。その要のテーマがついに日の目を見る日がやってくるのである。陰画と陽画が重なりあったとき、ダークサイドとライトサイドの物語であるスター・ウォーズの真の姿が現れる。
 アナキンやジェダイ、共和国の末路が悲惨であればあるほど、新三部作でルーカスが粘り強く描いてきた伏線の効果も発揮されるであろうし、旧三部作の贖罪と救済の物語の意味も深まることになるだろう。
 神話といっていながら神話がもっている要素で、これまでスター・ウォーズにかけていたもの、血と残酷さがスクリーンで展開され描かれるとき、スター・ウォーズは神話体系としてその真の全貌を現すであろう。それが、私たちがこれまでスター・ウォーズに抱いていきたイメージとちがうものであろうと、私はそれを受け入れるつもりでいる。
(2005/3/16)




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