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映画コラム

 

スター・ウォーズ研究

スター・ウォーズ/メモリアル
スター・ウォーズ新三部作研究
「シスの復讐」ノベライズを読んで

北野武

深作欣二
『バトル・ロワイアル』

 最近の若いやつのことは分からないとはいつの時代でもいわれてきたことだが、その時代時代には若いやつが反抗したり悩んだりするそれなりの理由があり、彼らを苦しめているものの正体も掴みやすかった。
 しかし現代の若者を苦しめるものの正体ははっきりとしない。貧乏でもないようだ…、体制への不満でもないようだ…。
 では何?
 自分たちを苦しめるものの正体を若者自身も分からない。自分たちを反抗させたり悩ませたりする“大きな物語”が存在しない一方で、瑣末な人間関係や性の問題に悩んだり、善悪の問題がとけずに悩んだり、問題自身を自分自身の中に見出してどんどん自己の内部に引きこもっていったりする。
 なんで生きているのか分からない。善悪の意味が分からない。なぜ人を殺してはいけないの?なぜお金のためにセックスしてはいけないの?
 そんななかにあって、思春期の過剰な性衝動と暴力衝動だけがコントロールを失い、それが時には大暴走して事件化したり社会問題化したりする。
 映画『バトル・ロワイアル』は、そんな現代の中学生を生死をかけた戦いの中に突然投げ込んでみせる。殺し合い、たった一人だけが生き延びることが許されるゲームに。
 彼らは、生きるってなんだろう?なんて考えるひまもなくいやおうなく目の前に死を突きつけられ、生きるための戦いを強いられる。そしてその戦いの中でそれぞれが生の自分をさらけ出す。自分の体を使って生きのびようとする少女もいれば、殺し合いを楽しむものもいる。死が迫ってくることによっていやらしい本性をあらわすものもいれば、あくまで人間としての尊厳を守ろうとするものもいる。
 それでも結局生き延びるのが許されるのは一人だけ。観客は映画を通して延々と子供たちの殺し合いを見せられることになる。
 こういう重いテーマを扱いながら基本的にはバトルロワイアルという映画は痛快なアクション映画だ。別に説教くさいわけでもない。その点では娯楽映画監督としての深作欣二監督の面目躍如といえるだろうか。ただこの娯楽映画に、現代の若者が抱えるさまざまな問題を意識的に組み込み、それに対する監督の意見が投影されていることは間違いない。
 死のゲームを通して、生と死の意味、命の重さ、人間の尊さと醜さといった要素が浮き彫りになり、戦争の時代を知っている監督のメッセージも伝わってくる。また死のゲームということが、何事もゲーム感覚だといわれる現代の若者に対するアイロニーにもなっている。
 それを監督は突き抜けた暴力性でもって娯楽性を失わずに描いてみせる。
 私がこの映画を見て好感がもてたのは、説教くさくなく、過激な暴力を描いてどこまでも娯楽映画に徹していたことだ。結局、これだけ暴力的に描きながら、なおかつ映画として実に魅力的だったことで『バトル・ロワイアル』は反響を生み、社会問題にもなり、若者問題に一石を投じることもできた。
 この映画は深作監督の事実上の遺作だが、晩年の映画としてはそうとう瑞々しい演出をみせている。深作監督は確かガンでなくなったのではなかったか。ガンだとわかっても男性機能を失わないために、抗がん剤は使わなかったという話を聞いた。なにかそのあたりの監督の気骨が映画の若々しさ瑞々しさにも現れているように思う。要は気力なのだ。
 『バトル・ロワイアル』を見ておもしろい感動したという若い人には、監督のそのほかの映画も見ることをすすめる。基本は娯楽映画なのだが、監督の映画の登場人物はとにかく激しく精一杯に生きていて、バイタリティに溢れている。映画を見ると、うじうじせずに女をだけ、生きることにがむしゃらになれといった監督のメッセージがいやというほど伝わってくるはずだ。

『バトル・ロワイアルと映画の鑑賞制限』

 教師が学校で、中学生に15歳以下鑑賞不可の映画『バトル・ロワイアル』をみせて、女子学生の一人の気分が悪くなり、父兄が抗議するというニュースが以前あった。
 『バトル・ロワイアル』については以前、わりと肯定的なレビュー(深作欣二監督『バトル・ロワイアル』)を書いたことがある。映画は確かに素晴らしい…。というかおもしろい。
 内容はみんな知っているように中学生同士の殺し合い。過激な描写のオンパレード。
 映画が公開される際、R-15指定を巡って監督と映倫、一部国会議員との間でちょっとした「バトル」があった。
 国会議員の側の発言は表現に対する理解が全くない空疎なものだったが、深作欣二監督の「この映画は中学生にこそみてほしい」という発言にもかなりはなじらんだ覚えがある。
 この映画は本当に中学生が見るような内容のものですか?
 これは本当に悩める少年少女になんらかの答えを与えるような映画ですか?
 『バトル・ロワイアル』以上に過激な暴力や性表現が世の中に氾濫しているからってそれが中学生が鑑賞していい理由になりますか?
 中学生はそんなにすれていて、あなたの過激な暴力映画にも免疫ができているというのですか?
 こういいながら、私は逆説的に『バトル・ロワイアル』を誉めている。『バトル・ロワイアル』はそんなあまっちょろい映画ではない。確かに映画のなかに監督の若者や戦争に対する問題意識やメッセージが反映されていることは確かだが、それ以上に映画『バトル・ロワイアル』は暴力的で、猟奇的で、残酷で、アクション満載の一大娯楽映画であり、子供の死体が画面いっぱいに映し出される一種のホラーである。悩める少年少女を救い癒すような甘っちょろい映画ではない。
 映画が人へ与える影響というのは計り知れず、暴力や性描写にはとくに配慮が必要で、それを送り手側はとくに自覚していなければならない。これも以前、九州で『バトル・ロワイアル』好きの女の子が同級生を殺してしまった例もあったが、それが映画の影響だという意見もあながち間違いではないのだ。犯罪の原因に、残酷なホラー映画や漫画などの影響を短絡的に結びつけるのはナンセンスだという意見が最近は多いようにみうけられるが、映画の影響力をそんなに甘く考えてもらっては困る。
 映画公開当時、監督が「この映画は中学生にこそみてほしい」と発言したことや監督のとった映倫との対決姿勢というものに私は映画の宣伝行為のにおいを嗅ぎ取ったものだが、実際その通りの部分もあったのではなかろうか。いま振り返ると深作監督の発言は、映画の内容からしてあまりに無責任なものであったように私には思われる。
 監督にはこう言ってほしかった「これは子供が見るような映画ではないが、年をごまかしてでもみにきたくなるようなおもしろい映画だ」と。
 映画鑑賞の年齢制限は絶対にあったほうがいい。日本はずっと映画鑑賞における年齢規制がゆるい国だった。そのおかげで私も様々な映画を観ることができたのだけれども、感受性の強い時期に過激な映画をたくさん見て悪い影響をかなり受けたし、みなければよかったという映画もたくさんある。これは作品自体の価値とは別の次元の話で、作品が名作だからといって過激な映画を子供にみせてもいいという話にはならないのだ。
 映画は青少年にはかりしれない影響を与える。私は映画好きの一人としてあえて逆説的に、映画鑑賞に厳しい年齢制限を設けることに賛同する。それはあくまで不特定多数の子供の目に過激な映像が簡単に入らないようにするための配慮であり、なんら表現の自由に対する規制ではない。観られない映画はあわてなくとも大人になってからみればいいし、それでもみたいやつはこっそりと自己責任でみればいいのだ。




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