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北野武

スティーブン・スピルバーグ
激突!!

 残念ながら人間には持って生まれた才能というものがあり、圧倒的多数の普通の人々に対して一握りの天才というものが存在する。
 同じジャンルで同じように勉強し同じように努力しても、才能の差というものは確実にあらわれる。
 映画界における天才とは誰なのか。まあ映画業界でトップを張っている人間はみな特別な才能があるともいえるのだが、とりあえず一人を上げろといわれれば、まずはスピルバーグを私はあげる。
 その才能は、スピルバーグの事実上の劇場映画処女作『激突!』によっていかんなく発揮された。大胆に言い切れば、『激突!』には映画監督としてのスピルバーグの全てがつまっている。
 いま現在、私はそれほどスピルバーグが好きではない。しかし作品ではなく監督で、私を映画好きにした一番の存在をあげるとすれば、まぎれもなくスピルバーグだった。私はスピルバーグが絶好調だった時期に子供時代を過ごした、スピルバーグ映画ど真ん中世代だ。
 といっても最初の出会いは劇場ではなくテレビだった。確か『ジョーズ』だったと思う。こんなにおもしろいものがこの世の中にあるなんて!とほんと画面にかじりついて見た記憶がある。その次に出会ったスピルバーグ映画が『激突!』だった。これもまたとてつもなくおもしろかった。
 『ジョーズ』も『激突!』も同じ監督で、『未知との遭遇』の監督も同じ人らしい。この頃に胸に強く刻まれたスピルバーグという名前は、後の『E・T』や『インディ・ジョーンズシリーズ』の成功などもあわせて、私の中でどんどん神格化されていった。 スピルバーグ本人の低迷があったり、作風にあきたりしたりで、その後はつかず離れずという時期もあったが、『シンドラーのリスト』を監督する以前、もうスピルバーグは終わったといわれていた時期でも、私は彼の才能を信じ支持しつづけてきたと自負している。
 スピルバーグの映画はとにかくヒットしている。スピルバーグ登場以前の映画の興行成績とは比べ物にならないくらい儲けている。ヒットした映画がかならずしも名作とはいえないが、私がスピルバーグを評価している点の一つは、確かにヒットしているけれど、いろいろ余分な要素を省いた上で、彼の作品が純粋に映画としての楽しさおもしろさだけで勝負していると思われる部分だ。それで失敗すれば全てが監督の責任ともなる。
 もちろん彼の映画は大宣伝されるわけだが、すくなくとも初期の作品は有名な役者をあまり使わなかったり、プロモ用にロックミュージックなどを主題歌につけるようなこともなく、映画の魅力だけで観客をひきつけていた。
 ハラハラ・ドキドキさせながら観客を魅了しひきつける、ということは活劇の原点であるが、この点でスピルバーグという人は本当に秀でていて、右に出るもののない天才だと思う。
 その原点が、アメリカ本国ではテレビ放送され、海外では劇場公開された事実上の劇場処女作である『激突』だ。
 話は単純だ。ハイウェイであるトラックを追い抜いたドライバーが、その後執拗にその巨大なトラックに追いかけられる。ただそれだけ。だが、そのシンプルな話をスピルバーグは90分近くひと時も観客をあきさせずにみせる。さまざまな映画的技法をつかって観客を釘付けにする。まさに天才のなせる業だ。
 映画という道具を使って人を楽しませる、スピルバーグの初期の作品(アクション映画ではない『未知との遭遇』も含め)を見る限り、彼は本当に映画の神に愛された「映画の神の子」であると思う。 なかでも『激突』は一番シンプルなだけにスピルバーグの才能の凄みがよく分かる。
 ちなみにスピルバーグはこの作品を25歳のときに、低予算で、わずか10日間で作った…。彼はまぎれもなく神童だった。


シンドラーのリスト

 『シンドラーのリスト』を発表するまで、スピルバーグはアクションやサスペンス、SF映画はとれても、人間ドラマはとれないとよくいわれていた。
 確かにそういわれても仕方がないところはあった。『E・T』で映画史上最高のヒットを飛ばしながら、その年の賞レースではリチャード・アッテンボロー監督の『ガンジー』に大敗を喫した。スピルバーグ自身、当時、自分の映画をポップコーン映画と自嘲的に評した。
 『E・T』を監督してからのスピルバーグは、自分への評価を翻そうとするかのごとく、『カラー・パープル』や『太陽の帝国』といった人間ドラマを監督するが、評価はさんざんなものだった。スピルバーグにとってアカデミー賞はどんどん縁遠いものになっていくようにおもわれた。そしてスピルバーグは子供向けの映画か娯楽映画は撮れても人間ドラマがとれない、それはほとんど定説になっていった。
 肝心の娯楽映画のジャンルでも、彼の演出スタイルはマンネリ化し、彼の映画をまねた映画の乱立などもあって、次第に観客に飽きられていった。
 スピルバーグの低迷時代『のカラー・パープル』や『太陽の帝国』、『フック』なんていう映画をふりかえって強く感じるのは、彼のどうしようもない幼児性と物事や社会を見る目の浅さ軽さ、といったものである。
 しかしスピルバーグはけっして人間がとれないわけではなかった。初期の作品から人間を演出するのもうまかった。ただ彼はどうしようもなく幼児的で、物事や社会を見る目の浅い人間だった。
 初期の作品で、自分の個人的体験をもとにして小さな家族の世界や、未知の世界や物事への夢や恐怖を語っていたときの彼は、その中で実に見事に人間を描いていた。
 それが黒人問題や第二次世界大戦といった、より大きなテーマを描こうとすると、とても彼の手におえるものではなかった。
 原点がえりともいえる『フック』では、それまで支持されてきたはずの彼の童心が、観客にはどうしようもない幼児性とうつってしまった。
 その間、自らプロデュースしたテレビシリーズの失敗などもあっても、本当に一時期スピルバーグは飽きられ、一部ではもう終わったとまでいわれた。
 しかしスピルバーグは1993年に起死回生にうってでる。
 一つはCGの実力を世間にしらしめた『ジュラシックパーク』、もう一つはスピルバーグがもっとも苦手だとされていた人間ドラマの『シンドラーのリスト』だった。
 『ジュラシックパーク』はCGの技術ばかりが取り上げられるが、スピルバーグの天性のサスペンス演出がさえわたっていたからこその成功であることは、後のCG満載の映画の多くがこの映画をこえられないでいることで明らかだった。
 『ジュラシックパーク』でスピルバーグここにありを示した彼は、さらに同じ時期に公開されたもう一つの監督作シンドラーのリストでまたまた世間の度肝をぬく。
 それはどうどうたる人間ドラマだった。幼児性は影をひそめ、物事や社会を見る目はいちじるしく深みをおびていた。
 甘さはぬけ、人物は深淵に描かれ、あの狂気の時代、狂気の出来事にどうどうと向かい合って、それを自らの真骨頂である演出テクを駆使し、観客をあきさせることのない3時間超のどうどうたる大作として描いて見せた。
 この作品で彼は念願のアカデミー作品賞、監督賞を受賞する。もう誰も彼を人間ドラマが描けないというものはいなかった。
 それにしても、この1993年という年に二つのエポックメーキングな映画を立て続けに監督したスピルバーグには、かなり意図的なものが感じられる。
 スピルバーグが『シンドラーのリスト』の原作を手にし映画化を志すも、それには十年という人間的成長の期間をもたなければならなかった、という話はよく知られているが、その間に、確かに彼は実生活でも作品面でもさまざまな辛酸をなめ成長していった。そしてその苦難を経て、ついに『シンドラーのリスト』のような映画をとることができたのだった。
 『シンドラーのリスト』を監督することはユダヤ人である自らのルーツと向き合う契機となるとともに、ここにはもう一つのたくらみもかくされていた。
 それはE・Tでアカデミー賞を逃したことへのリベンジだった。彼は『シンドラーのリスト』の主要な役に『ガンジー』のベン・キングスレーを配し、そして同時期に公開された『ジュラシックパーク』においては、『ガンジー』の監督のリチャード・アッテンボローを俳優として起用した。
 ここで彼は明白なリベンジの意識を、『ガンジー』という名作へのリスペクトというオブラードに包んではらしてみせた。
 『E・T』から十年、『ジュラシックパーク』と『シンドラーのリスト』という二本の映画で、彼は再びマネーランキングのトップにおどりでるとともに、深い人間ドラマ、過去の名監督に負けない芸術映画を監督できる天才としてどうどうたる復活をとげたのだった。



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