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北野武

北野武
『HANA-BI』

 あまり映画に詳しくない人は、タレント・ビートたけしの映画をどう評価しているのか。海外で評価されているからおそらくいい映画なのだろうけど、実際はよく分からない難しいという感想をもたれている人も多いのではないか。お笑いタレントの顔とあまりにかけ離れたその作風に戸惑っている人もいるのではないか。
 よく分からないというのは素直な感想だと思う。北野武監督の映画はそもそも私たちがよく知っている映画やドラマの文法を解体するところに成り立っているのだから。
 北野監督の映画の役者はあまりしゃべらない、表現しない。
 役者だけでなくひとつひとつのシーンもイメージの連続のような感じで、説明的な描写は少ない。暴力は過激すぎて、みているほうの神経を逆撫でする。
 ただ普段、映画を見慣れている人間が見ると、北野監督の映画が、劇映画やTVドラマが陥りやすい過剰な演技やセリフまわし、過度に説明的なシーンなどに対するアンチテーゼになっていることに気づく。過激な暴力も、最近のハリウッド映画に代表されるスポーツ感覚やゲーム感覚で痛みが感じられないまま簡単に人が殺されていくアクション映画のそれと対極対をなしていることが分かる。
 北野監督が映画を撮り始めた当初、あれは映画をよく知らない素人の映画だといわれたものだが、その反対に北野武はよく映画を知っているのだと思う。知っていてあえてそれを壊し解体するところから入っていて、そこに独自性が生まれる。
 だから長くハリウッドやアメリカ文化そのものにアンチの姿勢をとり、映画を芸術として鑑賞する文化の育っていたヨーロッパでまずキタノ映画はうけた。というよりも理解された。
 なになにからのアンチから入った監督が、代わり獲得しようとした映画の文法は、寡黙な登場人物とイメージだけで繋がれたようなシーンの連続だった。その映画の文法は才人北野武自らの美意識や人生観、心象風景を投影するのに最適で、監督第一作 『その男凶暴につき』から、既成の映画の文法壊しをするとともに、自らのスタイルを確立し、おのれの美意識や人生観、心象風景を映像にのせるという試みを始める。
 それは『ソナチネ』で見事に昇華されるのだが、やはり一般うけする映画ではなかった。
 その後監督は交通事故で生死の狭間をさ迷う。これが北野映画に微妙な影響を与える。事故後に撮られた『HANA-BI』では、映画の語り口も過激な暴力も変わらないのだが、事故前の作品がどこまでも挑発的でとげとげしく、登場人物にもあまり感情移入できなかったのに比べ、作風はいい意味で丸みを帯び、主人公もぎりぎり感情移入できるようになった。見る側はこの過度に暴力的だが、底知れずやさしくもある主人公を受け入れる。
 自らの心象風景を映像にのせるという試みは、北野監督が事故後に描いた絵が効果的に使われたり、主人公夫婦が逃避行を続けるうちに巡ることになる美しい日本の風景(ここで雪のシーンも出てくるがとにかく美しい)、久石譲の哀しげなメロディ、そして子供を亡くしたことによりまったくしゃべらなくなった岸本かよこ演じる主人公の妻の登場で、ついに頂点を迎える。ラストに映される波の動きまで、なにか監督の演出が、監督の魂がこめられているかのごとき錯覚をする。
 『HANA-BI』はほかの誰にもとれない、唯一無二の至極の芸術映画だと思う。
 北野映画はここでひとつの頂を迎えてしまう。その後の作品は、過去の作品のエピゴーネンであったり、実験的であったり、自分の美意識の表出がひとりよがりになりさがっていたりもする。
 ただ『座頭市』はなにか新しい北野映画が生まれる予兆がして、次に期待がもてた。そして北野監督は暗中模索のもやもやとした時期を乗り越え『TAKESHIS'』という語るに足る意欲作を作り上げて見せた。


『TAKESHIS'』
 『TAKESHIS'』を観た。
 ヒットはしなかったようだし、評判もあまりよくなかったので、それほど期待していなかったのだけれど、これは素晴らしい映画だ。映画の構成が分かりにくいという話だったが、そんなこともなかった 実に分かりやすく、論理的な構成に基づいた映画だ。
 たけしといえば日本の芸能界のトップに立ち、映画監督としても世界的な評価を得ている男だ。 だが彼は下町育ちの自分の出自とこのあまりの成功の間にあるギャップに、どこかこれが現実ではなく夢ではないのかという感覚を抱いているのだろう。また、その成功を勝ち得るために彼は様々な分岐点に立たされてきて、そうやって自分が選んだ人生の道程で様々な人間と出会ってきた。そして彼はまた多くの人間と離別し傷つけもしてきた。映画の中でストレートに表現されてもいるが、多くの人間を踏み越えて彼は成り上がってきた。
 芸能界で成功したピートたけしにそっくりな北野というコンビニで働きながら役者を目指す男は、一応は善良な男である。しかし彼はピートたけしと出会うことによって現実と夢とが交錯する世界に迷い込んでしまう。
 北野は、成功者たけしのもしかしたらこういう人生もあったかもしれないもう一つの可能性であり、いまだ彼の心の中に残る文字通り分身である。その分身にたけしは再度様々な選択肢を与え、自らの人生をある意味振り返っている。
 北野はあることから拳銃を手に入れる。拳銃とはいわば暴力や権力のメタファーであり、それを手に入れることによって彼は彼をバカにした者たちや彼を取り巻くうっとおしい環境自体を破壊していく。自分好みの女も手に入れてみせる。しかし、その行き着く先は、うっとおしいと思いながらもそれほど悪いものでもなかった人々や環境との別れであり、そこからの逃亡の果ての死であった。それは芸能界でトップに上り詰めたたけし自身の中にある感慨なのだろう。
 ありうべき二つの人生の可能性ということで、ビートたけしと北野の人生には同じ役者が二役三役で登場することにもなる。
 たけしという男の心の中には、成功を収めてもどこか夢のような感覚が付きまとい、虚しさが付きまとうという感覚が濃厚に漂っている。それは常人である我々にはわからない感覚で、そこについていけない人にはこの作品は全くの理解不能ということになろう。
 『HANA-BI』という作品の成功以来、北野作品に何かもやっとした霧の中にあるような感覚を私は抱いていたが、『TAKESHIS'』は一見同じような散漫な作品のようで、実にクリアーな透徹した知的な映画だ。
 『TAKESHIS'』という映画は人生の儚さと、人生の選択の物語だ。そしてそのエッセンスは、映画の最後の言葉に全て凝縮されている。「どうする?」
 『TAKESHIS'』は人生というものに真摯に向かい合いながら、それにどこか虚しさを感じているような多くの人間たちにとって、とてつもなく切ない映画だ。


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